強迫性障害における確認行為
強迫性障害における確認行為
「家の鍵、閉めるのを忘れたんじゃないか!?」とドキッとして、出かけようとしていた矢先にドアの前まで戻ってカギが閉まっていることを確認した体験は多くの人が持っていると思います。
家の鍵が閉まっていなければ、当然のことながら、誰かに家の中に侵入されるかもしれませんし、きっちりとドアが閉まっていたとしても「空いているんじゃないか」と心のどこかにひっかかったままで外出するのは心理的な負担になります。
つまり、この場合、家に戻ってカギを確認することはちゃんとした理由がありますし、家にまで戻ることと行為をすることの見返りが釣り合いが取れていると言えます。しかし、強迫性障害の人の確認行為はその限りではありません。
鍵を閉め忘れたのではないか、ガス栓を閉めるのを忘れていたのではないか、という危険性を現実に否定したとしても、強迫性障害の人の不安は残ります。
頭の中に、「それでも鍵を閉め忘れたのではないか」「やはりガス栓を閉めるのを忘れているのではないか」という根拠のない不安や恐怖がとりついて離れず、何度も何度も確認作業(強迫行為)を行うのです。
これは、念入りに注意を払う、というレベルではなく、頭の中の恐怖感(強迫観念)を払しょくすることができないから、確認し続けるということです。
強迫性障害における確認行為はs慎重さとどう違うの?
慎重で注意深い人は、現実の危険性を否定するために、二重チェックなど周到な方法をとります。
念入りなチェックを行うことで、危険の可能性を小さくし、安心して生活を送るためです。慎重な人は、普通の人よりも手間をかけて危険性を排除しようとしますが、生活に支障をきたすまでチェック作業をすることはしません。
強迫性障害の確認行為は、現実の危険性を減らす、という目的のためだけに行われているわけではありません。
そうではなく、自分自身がいつまでも危険性が減ったことを認められず、不安感や恐怖に付きまとわれているから、確認行為を続けるのです。
あくまでも、その強迫行為は強迫観念に対して行われており、現実的な手間やコストを考慮していません。
たとえば、家から出るときに一時間かけて鍵のチェックをすることは普通の人にとって合理的でしょうか。おそらく違います。一時間あれば、別のことができます。
限られた時間の中で他に色々とやるべきことがあるのに、延々とチェック作業をしていては、貴重な時間を無駄にすることになってしまいます。
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